自火



「あーそういや 臆病がらみで俺が知ってる格言ありますよ」
「ほぉ お前がそういう言葉を記憶しているとは珍しいな」
「…現場でね ドンパチやってる最中に聞いた話だったんスよ本来は
臆病者を哂ってやる言葉なんでしょうけど…この言葉を考えた奴は
きっと命のやり取りとか追い詰められた事のない幸せな奴なんだろう
なって頭に残って」
「…何と言う言葉だね?」
「『臆病の神降ろし』って言葉です」
 言いながら、頭頂部を気怠るげに掌で掻くハボックの仕草はあまり
思い出したくない記憶の類なのだろう、少し苦い顔だ。

「聞いたことのない言葉だな 神降ろし…とは巫女や呪術師などが
神を我々に見える形で降臨させるという行いだろう?臆病者ほどそう
いったまじないにのめりこみやすい…という意味か」
 書類に走らせていたペンを止め、確認を取るように机前に立つハボ
ックをロイは見上げる。
「んー…そうじゃなくて…ホラ人間切羽詰ったときに『天の神様地の
神様仏様にご先祖様 誰でもいいから助けて!』…みたいになるじゃ
ないっスか 要するに普段神様を信じてもいないくせに臆病者はそん
な時だけあらゆる神に縋りまくる…って意味らしいっス」
「なるほどな…確かにある種の図々しさを揶揄する言葉のようだが…
我々には哂い難い」
 爆音や耳元を掠る銃弾の音、身を隠していた壁が頭上に落ちてくる
危険、足元が崩れるかもしれない恐怖といった現場を目の前にした事
があれば、何にだって頼りたくなるのが人間というものだろう。

 そう呟くロイに、ハボックも会話が重々しくならぬよう、なるべく
軽く聞こえるよう「そうっスね」と同意を示した。

「お前は?」
 ロイの唐突な問掛の意味が分からず、ハボックは目線で問い返す。
見詰め返す黒い双眸は、真摯で穏やかだった。
「お前は 神に縋りたくなったことがあるか?」
「ノーサー 生来図太い気質なもんで 幸いにして信心もしてない神
に頼りたくなったことはありません」

「それは 良かった」
 そう言ったロイの、普段あまり見せぬ、ふわりとした笑顔にハボックは
瞬時見惚れた。
「良いコトなんスかね? 大佐の事だから俺を図太いとか無神経だか
らとか…思ってたりして」
 わざと絡むように茶化しても、上機嫌なロイの笑顔は崩されずクス
クスと笑いながら肩を竦めた。
「お前が 無神経でデリカシーなくて図々しくてあつかましくて大胆
なのは今更だ」
「…俺は そこまで言ってないっス」
「今更だろう?」
 手先をちょいちょいと振って、屈めと促すロイの仕草に何がしたい
のだろうと疑問を抱きながら、ハボックは素直に従う。

「私はお前のそういう所を含めて 好ましく思ってるよハボック」
 しゃがませたのは、頭を撫でてやるためだったらしい。犬と触れ合
うかのように、毛先を指に絡ませたり髪をクシャクシャと掻き乱した
りしながら、ロイはハボックをあやすように撫で続けた。
「…っちぇーズリィの 大佐にそんな風に言われたら言い返せない
じゃないっスか」
「おや実は自分は繊細で臆病だとカミングアウトするつもりだった
のか?…繊細で臆病なお前も面白いかもしれんが…部下としては使い
にくくなるな」
「言いません 言葉尻捉まえて遊ぶのやめてください でも一つだけ
言っておきます 今の俺がどんな理由だかで最期を迎えそうになって
しまったら…そんな時 頼るわけでも縋るわけでもないけれど心を
独占するのはアンタの事だけだ」
 篤実で実直なハボックの言葉は、飾り気の無い分心に響く。
「…まだまだ死ぬつもりも予定もないが…百万が一そのような事態を
迎えそうになったら 私も同じ思いをきっと抱くさハボック」

「…どこにいても 俺はいつだって大佐のことを思ってますけどね
目の前を変えようとまっすぐなアンタは、俺にとって存在が不確かな
神様なんかより、数倍人生賭けるに値する」
そういって自分の頭に伸ばされたままだったロイの掌を取り、指先へ
口接けたハボックに、ロイは咄嗟の言葉を返せず頬を染めて横を向く
だけだった。