弱点スイッチ


「大佐ってば 優しくされるのに弱いよね」
俺の呟きに混じっていたのは、多分ちょっとした嫉妬。

同じ事をやらかすにしても、命令形で渡された雑務なんかだと
こちらがどんなに頑張って工夫をこらしても、返ってくるのは
「ご苦労」の一言。
それなのに先手を打って、ものすごく簡単な…書類をまとめて
おくだとか(中身じゃなくて、散らばってる紙を揃え整えるって
レベル)自分のを淹れるってついで程度のコーヒーなんかでも、
手渡されようとした瞬間、大佐は無意識でものすごく照れ臭そう
な顔になる。

勿論すぐに涼しい顔に戻って「すまんな」と何気なさを装うの
だけど、その僅かな時間のアンタの顔がどんなに無防備で人を
惹き付ける顔をしているか、アンタは絶対気がついてない。
今だって、デスクワークに飽きた俺が自分用のコーヒーついでに
淹れた紅茶に礼を言うその顔に、通りすがったフュリーが少し、
顔を紅くしていたって言うのに。

「…そんな事はないだろう」
「ほら 自覚も無いと来た」

俺が大佐に興味を持つようになったのは、ほんの気紛れで自分
のを淹れたついでに、大佐にも紅茶を持ってた時。
しかもそれは単に俺の貧乏性から出た行為で、マグカップ一杯に
使っただけのティーバックを捨てるのと、余ったお湯が勿体無い
からついでに部屋にいる大佐に持って行ってやるかとの思惑から
の行動で、親切心という気持ちはかなり低かった。

その頃の俺は、まだマスタング大佐の持つ名前や勝手な噂に反発
を持っていて下された命令にも型どおりでしかこなしていなく、
人道より理性的な判断を優先するこの人に、迷いを感じていた。

頭の中じゃ、一を棄てて十を救う方が正しいって理解していて
も、感情がどうしても付いて来なくて一を棄てろと命令してくる
大佐を内心で軽蔑することで、自分の心の均衡を保っていたのを
今の自分なら当時の俺が未熟なだけだったって解るのに。

…誰より何かを棄てる方法を選ぶのに、苦悩して決断していた
のは大佐だったのに、気付こうともせず。

ただアンタを冷血漢と内心でなじるだけの俺と違って、大佐は
一である存在を捨てろとそう命じておきながら、同時に何とか一を
救う方法も懸命に模索をしていたのを察もせずにいた、自分の青さ
は赤面ものでしかない。

「どうぞ」
書面を読むのに一生懸命で、下を向いたままの大佐は俺が真横に
近づいてカップを渡そうとしたら、大袈裟に驚いた。
「うわっ……な、なんだねハボック少尉 気配を殺して横に立つんじゃ
ない」
「…いや俺 普通にしてましたけど」
「そ、そうかね どうも私は真面目に仕事をしすぎていかんな」
「……そうっスね」

この頃は流石にまだ、幾ら図々しい・遠慮しないが本分の俺とて
大佐にツッコミを入れるなんて真似はできず、無難に返事してマグ
カップを差し出した。
「……?」

虚を突かれた様子で、これはなにかねと目線で問いかけてくる
大佐にやはり一言は必要かと、俺は短く言い添える。
「砂糖入り紅茶です どうぞ」
「…私に?」

他に今この場所には誰もいないってのに、誰にだというのだ。
――俺の背後に俺の見えない人が立ってるとか言わねえよな?
恐る恐る馬鹿馬鹿しいと思いつつも、人間怖いもの見たさと言うか、
そういう方面での謎は解いておかないとどうも気持ち悪いというか
の心境で、こっそり後ろを窺うが…やはり誰もいなかった。
確認した上でキッパリと断言をして「いらん」とは言わせんぞと強引
に目前に置く。
「はい 大佐の紅茶です」


「…で やっと自分のだって解ってもらえて紅茶受け取ってくれ
たその時のアンタの顔に俺やられちゃったんですよねー」
「私がどんな反応をしていたというのだ」
「ほわっと体の力がすっと抜ける感じで きょとんとして見てるこっち
が え、何この人こんな表情するんだ!マジかわいいんだけど!
!キュンときちゃうんだけどっ…って顔して」
「…記憶に無い」
「しかもその後に 自分がそんな顔したのを恥ずかしがってか
ちょっと頬紅くして表情を戻そうとしてる辺りなんて ねえそれ何て萌え
キャラ狙い?! うっわきゅんきゅん来るよ!男心を超狙い撃ちだよっ!
って感じな反応でその後また…」
「ハボック …頼むから私の理解できるアメストリス語で会話をしてくれ」

頬杖をついて、わざと盛大に音を立てて紅茶を啜るロイは無表情
を装って、ハボックの声をあえて聞き流そうとしている。

「いやいや ここからが本番で 俺もまだその頃は素直になれず
にいたもんだから色々葛藤あって それに大佐が記憶にないって
言うのなら俺が語っておかないと……」
「…あれは お前に嫌われていると思っていたのに命令した訳で
もないのにお茶を淹れて来てくれたのが嬉しかったんだ だから
ちょっと油断しただけで……」
「…大佐 記憶にあるんじゃん」
「うるさい だからそれ以上こんな所で馬鹿げた会話を続けさせるんじゃ
ないっ!」


「…大佐の素のお顔を他の方に見せたくないというのでしたら
ああいう会話は二人きりの場所でやって欲しいですねえ」
「…いいから 目線あわすな関わるな」
事務処理に勤しむ部下と同僚達は、普段のカモフラージュが徹底
しているつもりの二人が見せる、下手なバカップルより甘い空気
の駄々洩れに閉口しつつも、今日も必死で気付かぬフリを頑張って
いた。