境界線


傍によらないでくれ。

そう言った大佐は、今までに見たことない張り詰めた顔をしていた。
それは、怒りでも憤りでもない…迷子になった子どもが見せるような、涙を
こらえ悲しみを溢れさせないようにしている表情。

中佐の訃報を聞いてから、大佐は食事をとっていない。
おそらく、ろくに睡眠もとっていないだろう。
ただひたすら、僅かな手がかりと証拠を探し足元がおぼつかなくなっても
ヒューズ中佐の事以外は考えていない。

転びかけた身体に思わず腕を伸ばし、無理をするなと言ったら返されたのが
「傍によるな」の一言。

「…目の前で倒れかけた人がいたら、手を伸ばすのが礼儀って言うか常識と
思って生きてきたんスよ 礼を強要するつもりはないけど助けてもらって
随分な言いぐさッスね」
「………」
「俺相手だから 何言っても平気だと思ってた?付いて来いって言ってよこ
した上司に傍によるななんていわれたら…俺でも傷つくんだけど」

本当は理解している。今のアンタはギリギリのバランスで立っていて、誰か
自分を支えようとしてくる人間が傍にいれば崩れそうだから、誰も寄せ付け
ようとしていないということを。
倒れれば、立ち直れないほどの深い暗闇に沈んでしまうから、一人で居よう
としていることを。

「……すまなかった」
緊張した空気の中、大佐が小さく俯き呟いた。
でも、まだ足りない。アンタの心の闇を暴いて、さらけ出させて、泣かせて
その痛みと悲しみを表面化させ浄化させない限り、アンタはそこに踏みとど
まったままだ。

無言で大佐に歩み寄り、大佐の耳朶に唇を近づける。
「それは暴言への謝罪っスよね …まだ近寄るなっていいますか?」
「…あれは…ちがっ…」
「解ってますよ だから、アンタに泣いて貰います」
「ハ、ハボック…?」
目を丸くする大佐の反応は当然だろう。
普通に考えりゃ、まったく脈絡のない言われ方だ。

「無理矢理でも泣いて吐き出さないと、アンタ休もうとしないでしょ…困る
んスよ 上が倒れたりされちゃそれに…仇討ちする前に体力だって養って
おかないと」

顔を見せなくてすむよう、後頭部を胸に押し付けそのまま大佐の黒髪を指で
ゆっくり梳く。
「…眠れないんだ」
「うん」
「食事だって…身体が拒否する」
「うん」
「目を瞑ると、アイツはもっと幸せになる筈だったのにとか何故こんなとか
…考えてもしょうがないのに」
「うん」

「………」
言葉を重ねるうちに、大佐の躰が小さく震えてくる。
「私だけ……こんな温かい場所に居る資格はないんだ…」

「…泣いて、大佐?」
もう一度、低く囁く。俺の言葉に負けて、涙が出たことにすればいい。
気づかぬ振りをするから。見えなかったことにするから。

多分、流した涙はほんの数筋だろう。軍服の色は変ることがなく、濡れても
いない.

大人しく腕の中に居た大佐は
「もう、大丈夫だ…すまなかった 確かにアイツの仇を討つなら今のまま
では無理だな」
とゆっくりと俺の拘束を解いた。

「じゃあまずメシ食って下さい」
「ああ」
「それから 眠って」
「ああ」
「……アンタを心配してるのは俺だけじゃないっスからね」
「…ああ」
「ハボック…お前とヒューズは…違うんだ 無茶をしてる自覚はなかった…
単に…やりたい事が多すぎて」
「言い訳はいらないっスよ 俺がアンタについてくって決めたんですから
だけど周りを全部拒否して崩れていくアンタは、そのまま中佐の元に行きそ
うで怖かった」

そんな事はありえないと短く答えた大佐は、そう言いながら少し休むと一歩
を踏み出す。その背中が少し遠く感じで、俺は仮眠室まで送るという名目で
慌てて駆け寄った。

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ヒューズ死亡直後のロイ話 ハボックの存在が一線をぎりぎり守ってくれてたらいいなと