リスタート


「どうだね、この指が触れていることを感じ取れるかね?」
一度顔面を焼いたというドクターが、俺の太ももを少し強めに押した。
理由をしらなければ、一瞬たじろいてしまう皮膚のやけど痕も、当人にとって
それが日常や仕事に差しさわりがないものならば、こちらは特に意識する
必要もない。

ゆっくりと押された腿の上の、ささくれだらけの指。
履き替えやすい、ジャージのズボンがへこんだ部分に、確かに感じる圧力。

本当だろうか。
気のせいじゃないだろうか。
「はい」と頷くには、何度も見せられた悲しい悪夢が脳裏にこびりついている。
ドクター・マルコーが押すのとは反対の箇所に、自分のコブシをきつく
握り締め、打ち据える勢いで落とした。
――感じる、衝撃。
気のせいじゃないと、何度も、何度も拳をぶつける感触はぶつけた回数分
の感覚を俺に与えてくれる。

ああ、足ってどうやって動かすんだっけ。
右太ももを上へ上げようにも、それが重く感じる。
――そうだ、重いんだ。「無」じゃない。俺の脚の存在が、確かに蘇る。
足全体が重いのならばと、ためしにとゆっくり、つま先を床から浮かして
踵へと重心を移す。

「…動いたね よかった」
落ち着いたドクターの低い声は、俺だけに向けられたものじゃない。
ドクターの後ろで、空いている寝台に腰を下ろしている大佐に、状況を
伝えてくれているのだろう。
ずっと手を組み、うつむいていた大佐の顔が、ようやく上げられた。
だが、その瞳は俺を写していない。
俺だけじゃなく、誰も、何も。

視力を失ったと聞いた時は、あまりにサラリと言われたので、冗談かと
思った。
だが、ドクター・マルコーの肩に置かれたままだった大佐の掌が、それが
嘘ではないのだと告げていた。焦点のあっていない瞳は、どこか遠い世界
を見ているようで、その存在は目の前に居るのに見えない壁があるみたいだった。

「うん、大丈夫だね これなら…まだ力は十分に残されている 君の目も
また見えるようになるだろう」
ふーっと大きく息を吐いて、力を抜いたドクター。
だがその言葉は、俺の足の治癒が、一種の賭けだったのだと伝えていた。
「…ひょっとして、俺の足を治したら…大佐が治らなくなっていたって
ことっスか?」
しまったと瞬時、目を小さく泳がせたドクターは、本当に嘘がつけない人だと思う。

「大佐っ!俺の、俺なんかのことより自分の目の方が大事でしょうが!」
「俺なんかとは何だ!私の大事な部下に向かって!」
「いやその部下が俺なんだから 俺が俺なんかって言っても…いや違う
そうじゃなくてっ!」
ただでさえ嬉しさと、困惑と、まだ信じきれない気持ちとに心がかき乱れ
ている中で、大佐がわざと的を外した言葉で反論して来るんだから、俺に
勝ち目があるはずが無い。

「ほら落ち着いて 二人とも 実際今までの経験なんて役立つかどうか
なんて分からないんだ 真理との引き換えに失ったものを、また取り戻す
なんて試した事はないんだから ひょっとしたらこの量でも足りないかも
しれない、それどころか君を治した分を足したって足りないかもしれない
…だったら、まず確実に治せる者を優先したいという大佐の気持ち…
わかるだろう?」

「俺……どうやったらこの恩に報いる事ができますかね?」
「まず礼を言え」
「…ありがとうございマス?」
「よし では後は早く復帰しろ それから…何があっても二度と自分を
『捨てろ』なんて発言するな 何をしてもどうやっても…しがみついて
でも私についてくると誓え」
「…イエス、サー」

厳粛な気持ちで答えた俺の台詞の直後、ごほんと咳払いが入った。
「えー …では治療の確認をしたいのだがいいかね?」

――すみません、目の前に居るのに視界の中央に居るのに、ドクターの
存在忘れてました。
「成功したのは間違いないようだから、私は少し寝る ドクターも連続での
治癒は大変だろう」
言うなり、寝台に横になった大佐はもう目を閉じていた。

「君もいい部下だったのだろうが…いい上司だね」
「はい」
迷わず、即座に返せたのは事実だからだ。

早く歩けるようになって、早く追いついて。
盾にでも何にでもなるから、二度と捨ててくれなんて言わない。

決意をこめて、もう一度殴ってみた自分の足は、確かに痛く。
喜びと、それだけじゃない涙が、うっすらとにじむのを俺は自覚した。

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めずらしく 自分でちょっと気に入ってるお話です