あれそれどれ


 「ああ、アレならそっちの棚っスよ」
机に肘をつき、書類を書く手をとめたロイに気がついたハボックが、自分の後方
にある棚を指した。
「そうか」
そういって立ち上がったロイは、ハボックの示していた棚に探し物がみつかった
らしく、そのまま手にしたオレンジのファイルをめくる。

「熟年夫婦みたいな会話…ですね…」
苦笑しながらのフュリーの独り言は、座席前のファルマンだけでなくハボックの
耳にもしっかり届いたらしく、目線で続きをと促された。
「えっと…あの、ですね その…」
ハボックが無表情にタバコを咥えたままでいるのは、フュリーの発言に気分を
害したわけでなく、単に本当に意味がわかってないだけだと察したブレダが、
困惑している後輩の代わりに答えた。

「大佐が何も言ってねえのに、お前は『アレ』で話し出すし 大佐も大佐で確認
なしにそのまんま受け入れてるだろうが」

ブレダの発言で、自分が当事者の一人だったらしいとようやく気づいたロイが
ハボックと顔を見合わせる。
「…だってなぁ…大佐がまじめな顔で書類の手を止めてるんだから なんか考え
事してるってわかるだろ?」
「わかんねぇよ 真剣な顔してブラハの落書きしてる時もあったし」
代表ブレダの返しに、ファルマン・フュリーはうんうんと同意する。
「あれは落書きではなくてだな、いわば気分転…」
「はいはい リフレッシュっスね」
「だからその気分転換で手を止めてるときと真面目に書類に向き合ってる時の
大佐の表情の差がどこにあるか、何でコイツに分かるのかって話ですよ」

「なんでって言われてもなあ…大佐が書類にあきるのって 一枚書き終えて次に
取り組む間だろ?途中で止まってるならなんかひっかかってる事があるのかって
お前らだって思うだろ」
「なるほど…確かに途中まで進めた書類だったら、大佐は一気に処理する方を
選びますよね」
さすがだと賞賛に顔を輝かせるフュリーに、まあそれは普通のパターンだと冷静
にファルマンの分析が入る。
「で、大佐の記憶力だと数日程度前のことだったら十分覚えてるだろうし、今
とっかかってる書類に2ヶ月前の南街の地下水路が破壊された事件が入ってるって
聞いてたからそのまとめた資料かなと思って、その棚だと言っただけ」
「私も南町の件をハボックと会話をしていたから、『アレ』でその資料を示して
くれたんだなと」

それのどこに疑問が?と両者首を傾けている辺り、いまだお互いにその会話が
一般人のやり取りとは異なっている認識がないらしい。
「…まあ上司部下が仲いいのは良い事だと思いますけどね」
「そうですよ!あれ・これで通じるなんて…素晴らしいです」

「そういえばヒューズ中佐と大佐の会話もあんな感じでしたね…逆でしたけど」
「逆?」
「ハボック少尉と大佐の会話の場合
『あれはどうした』→『あれはそこです』で亭主関白と奥さんの順番ですよね
中佐と大佐だと
『ロイ〜あれどうなったー?』→『あれはまだ調査中だ』って感じで」
「…それは ハボックがちょっと不憫になるから言ってやるなよ」
他意はないフュリーの発言だったが、それとない力関係に哀れんだブレダが、
フュリーの肩を軽く叩いて、口止めをした。

なお熟年夫婦と称した二人の会話に呆れているブレダだったが、察しの悪い馬鹿
を嫌うロイの無意識により、自分を含めた周囲の者のほとんどが、ハボック
ほどではなくとも、似た性格傾向になっている事と気づいていなかった。