耳元近く


反則だとロイが思うのは、ハボックの声だ。
喉奥から通る良い声にも関わらず、咥えタバコで喋るせいで、
日頃の声はどこかくぐもり、その魅力は半減している。

その一方で、ロイの耳元で低く囁くハボックの声は、背筋をぞくり
とさせるほどの破壊力を持っていた。
熱の篭った、脳裏に直接しみこみそうな低い声。
色恋沙汰で動じることは少ない方だと自認するロイでさえ、油断を
していると頬が赤らみ、体が小さく揺れてしまいそうな名前を呼ぶ唇。

「……もったいないな」
「何がっスか?」
機密事項でないにせよ、職場で大まかに喋るには差しさわりがある内容
についての相談をしようと、冗談半分で背後から囁きかけたハボックは、
大仰なまでに背筋を反らせ、即座に振り返ったロイに首を傾げた。
耳元を掌で覆って、少し動揺している様子を隠そうとするのか咳払いを
したロイは、平静を装い言葉を続けた。

「お前の声だよ」
「俺の声の何がもったいないと?」
「体育会系の入った変な語尾と咥えタバコの喋り方をやれば、お前相当
女性に好まれそうな声をしているのに…見事に無駄になっているから
もったいないと言ったのだ」
「そぉっスかぁ?」
咄嗟に返したハボックの台詞に、ロイは苦笑して訂正した。
「この場合は そうでしょうか だろうが ついでに言うとお前のその髪
少し後ろに撫で付けるだけで、印象がずいぶん変わるぞ…つくづく惜しい」
ふぅとわざとらしくため息をつくロイに、ハボックは悪戯めいた笑みを
浮かべた。

「ちょっと待ってくださいね」
壁際にある水道へと歩み寄ったハボックは、ロイの言葉に従うように指先を
濡らし、前髪を撫で付け後ろへと流した。
「…こんなものでしょうか?」
額を出して、涼しげな表情のハボックは艶気が数段増している。

「ま、まあまあだな、うん 悪くないと思うぞ」
悪くないどころか、締まった体躯に長身、低い声と十分以上に魅力的だ。
後半の声に出せないロイの心に、気づいたのか気づかぬのかハボックはその
まま屈み、ロイの耳たぶへと口元を近づけた。
「…で、本日の夕飯はどういたしましょうか」

何でもない内容の言葉なのに、驚異的なまでの破壊力だ。
喋り方を変えるだけで、人間こうも印象も変わるのかと顔を真っ赤にしたロイ
に、ハボックは微笑みかける。
「どうかしましたか? 具合が悪いなら休みましょうか」
「あ、いや…大丈夫だ」
「しかし、顔が赤いですが」
「気、気のせいだ」
「…そうは見えませんが」
「そう見えなくても気のせいだっ!」

なるほどロイの指摘は、当人にも通用したらしい。
初々しく反応するロイで、しばらく遊ぶ覚悟を決めたハボックの黒い気配を
ロイはまだ察していなかった。