綿菓子

ロイの前から、一時立ち去ったハボックが帰ってきたのは丁度二時
間後だった。恒例となっている、ノックと同時に許可を待たずに踏み
込んでくる長身に、言っても今更かとロイは頬杖をついたまま扉の
方を見遣った。
 少し含まれている咎めの視線を、気付かぬのか気付かぬフリをして
いるのかハボックは大股でロイの方へと歩み寄る。

「戻りましたー はい大佐」
長い腕に抱えられた大き目の紙袋には、平素ハボックが持ち歩くには
不似合いな淡い虹やら小さな傘やヒヨコが印刷されているファンシー
な紙袋。
ぽさっと音を立ててロイの机上に投げ置かれたそれは、見かけの大き
さに反して随分軽いもののようだ。

「…何だねこれは」
「ひっでえなぁ 自分で欲しいって言ったくせに」

 まさかと思いつつ、ガサゴソと紙袋を開けばそこには確かに綿の
ようなものが、紙コップ大のサイズに個別にパックされ入っていた。
「…こんなものがあるのか」
 あまり駄菓子類に詳しくないロイは、少し驚いた顔で透明な袋に
入った綿菓子をマジマジと見詰める。
自然状態であれば萎んでしまう綿状になったザラメ糖は、膨らんだ
袋に充満されているであろう気体のおかげか、通常見かける状態を
きちんと保っていた。祭りで見かけるものとの差異と言えば、大きさ
と持ち手である木の棒が刺さってないぐらいのものだ。

「…大佐も知らなかったんスね どうせ催しものとか祭りとかじゃ
ないと手に入れられねえと思って綿飴食べたいとか言ったんでしょ」
「お前がなんでも良いって言ったからだ」
「…ま、いいっスけどね 一応こういう売り方もあるとはいえあんま
置いてある店ってないんスよ 苦労して買ってきたんだからキッチリ
喰ってもらいますからね」
「この量をか…?」
 にっこり無邪気を装って見下ろすハボックだが、苦労したの言葉の
裏づけに二時間が経過しているという事実があるからか、有無を言わ
さぬ力がその微笑に込められている。
「し…しかしだな量が多すぎるだろう 私は食べたいと言ったが
煙草を咥えていて苦くなった口直しのつもりで…」
「ああ、ホワイトデーのお返しも含めてですので俺の愛です」
「…ホワイトデー?」
 腑に落ちない口調で、ロイが卓上カレンダーに目を送ったのは自分
の記憶を確認する為だ。間違いなくそれは、今日の日付がまだバレン
タインの三日後であると示している。
「…ハボック 私の記憶ではホワイトデーまで一ヶ月近い猶予がある
はずだが」
「大佐の記憶は間違ってませんよ 俺の記憶でもそうなってます」
しれっと言い返すハボックは、ロイの言葉を聞き流すように紙袋から
薄いピンクに色付けされている綿飴を一つ、取り出した。

「大佐宛のチョコレートは一杯来るだろう覚悟はしてましたけどね
ホワイトデー一番乗りのお返しだけは 譲れないって思ったんスよ」
弧を描いて軽く抛られたそれは、机の腕で重ねられたロイの両掌の上
に見事に当たり横へと滑り落ちた。

「一番乗りも何も…返礼すべき女性達は山ほどいるが …私がお返し
を貰う立場なのは……」
 呆れたように呟いているうちに、お前だけだと最後まで返せばそれ
はすなわち、ロイがチョコレートを上げたのはハボック一人だけだと
指す事に気付いたのだろう。語尾をうやむやにごまかし 横を向いた
ロイの頬は、少し紅くなっていた。

「大佐がそう言ってくれるのはすっげぇ嬉しいんスけどね 大佐食い
きれないからって口が固そうな相手に カード類だけ抜いてチョコ
お裾分けしまくってたでしょう フュリー辺りが無邪気に『貰いっぱ
なしじゃ申し訳ないですから!』ってにこにこホワイトデーにお菓子
差し出して来たら…断れます?」
「……それは……非常に難しいな」
「でしょ? ブレダだってそれなりに律儀ですしファルマンも物の
値段分かる奴ですからね ホワイトデーにそれなりの返礼ぐらいは
してくると思いますよ」

 尤もだと思ったロイは、それでも最後の抵抗を試みる。
「わかった ハボックお前の気持ちは確かに受け取った だがこの
形態のコットンキャンディーでは摘んで食べねば不可能だろう しか
しながら 現状私の目の前にある書類の山をべたべたした指で触れる
訳にはいかない よって……」
なおも言い重ねようとするロイの言葉を遮るように、ハボックが
「仕方ないっスね」と肩を竦めた。

「で、ではこれは家に持ち帰って……」
 そそくさと紙袋をしまおうとしたロイの手首を握ったハボックは、
口端を上げ楽しそうに元の位置に戻させた。

「…ハボック?」
「指をベタベタにして 書類汚すわけにはいきませんもんね」
「そ…その通りだ、うむ」
「ご心配なく 俺が食べさせて差し上げます」
「…は?」
「食べたかったんスよね」

 ロイの手首を握っているのとは反対の手で、ハボックが綿菓子の
入った小袋を掴めば、それはポフと容易に口を開けた。
すかさず袋から一部を毟ったハボックは、ロイの唇に柔らかそうな
そのかけらを当てて、食べろと促す。

 観念をしたロイが、綿飴を口に含めばそれはサラリと舌の上で
瞬時に甘さのみを残して溶けさった。
「…甘い、な」
「はい」
なんだか少し負けたような気分になったのが悔しいロイが、ちょっと
した仕返しとばかり節だった指先を齧ると、ハボックの顔は更に
嬉しそうな笑みが深まる。

 自分が振り回しているだとか、我侭上司に当たって気の毒だと一部
で噂をされているらしいが、なんのかんの言いつつこの年下の部下に
自分こそ逆らえずにいるんじゃないかと、上目遣いで睨んだロイは
それさえも笑顔で返され、大人しく甘い甘い綿菓子二口目を口にする
のだった。


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バレンタインの三日後にホワイトデーネタは早すぎだろ
とりあえず来るであろうツッコミを自分でしておきましたので勘弁下さい
綿菓子食べたい