存在の確認 上

ジャン・ハボック少尉が小隊指導の名目で、四日ほどの西方司令部
への出向が命じられたのは、おそらくあの見目はそれなりダンディー
なクセ、実は小心者のハクロ少将の仕業だったのだろう。

 なぜならその日程に、ハクロとロイの会談予定が組まれていて、そし
てその会談という名目の厭味三昧の時間に、護衛官として背後で睨み
を利かせるハボックの存在が目障りだからだ。
 前回のマスタング大佐への指導という名目の打ち合わせでは、大し
た咎にもならぬミスへの指摘を執拗に繰り返した挙句、事もあろうに
イシュヴァールの名前を持ち出してきたハクロに、ハボックは隠せな
い敵意を向けてしまっていた。本人には見えてないはずの位置に立っ
ているのに、ハクロの反応からか察したロイがさりげなく肘で小突いて
くるほどの凶悪な目付きは、厭味を並べる自覚ある者としては排除して
おきたい魂胆だろう。
 
 にこやかな作り笑顔なまま会談室を辞したロイは、カチリと錠孔が
噛みあう音がした瞬間、その笑顔を拭い真顔となり顔を上げた。
「ハボックあれしき小胆な男の皮肉に 物騒な殺気を放つんじゃない」
小声で、ハボックにしか聞こえぬようにではあったが、壁一枚越しに
肝が小さい呼ばわりをされた男がいるにも関わらず、ロイは言葉を隠さ
なかった。

「…よく解りましたね 俺があの時ムカついてたって」
「あれだけ不穏な気配を纏っていれば見えずとも気づく 尤も少将の
反応が確信を与えてくれたのは事実だがな…お前も自分の事ならば
飄々とかわすのだから 私への戯言ぐらい聞き流したまえ 今更…
イシュヴァールの名を持ち出されようが非情な人間兵器と罵られようが
私は平気な顔を装えるのだよ」
「…装えるだけで平気なワケじゃないんでしょ」
 ハボックの言葉に、一瞬眉を顰めたロイがどこか泣き顔を連想させ
る笑顔で薄く笑った。

「…ハボックのくせに 私の言葉裏を読むんじゃない」
「読んでませんよ ご主人様に忠実な犬の勘ってヤツです」
「…それはそれで…始末に悪いな だがそう言ってくれるお前が横に
居ることは私にとって……」
救いだ、との小さな呟きはプライド高いご主人様の滅多に見せてくれ
ようとしない本音だ。
 踵を返す寸前の、その頬が紅く染まっていたのに気付いたハボック
は、緩む口端を掌で覆いながら後を追った。

――その時のやり取りを思い出した、ハボックの心は急く。
軍部が手配してくれた切符でなく、手続きが終わるや駅へと向かい
発車間際の汽車に飛び乗って、車掌に直接金を払う。セントラルへの
長い五時間、ハボックの脳裏を支配するのはロイの事だけだった。
「あーもう俺ってば…大佐が目の前にいてもいなくても…大佐の事
しか考えられなくなってるじゃん」
 気を紛らわせようと頭頂部をわしゃわしゃと掌で掻きまわしても、
やはり思考が行き着く先は、ロイのこと。平気だと作り笑顔で周囲の
心配をかわしながら、メシを抜いているんじゃないかとか、無茶して
現場へ出向こうとしているんじゃないかとか。

 火花が散るだけで、なかなか焔を灯そうとしないライターに焦れた
ハボックは舌打ちをして、咥えていた煙草をホルダーへと戻した。
ガタイのよい大柄な男が機嫌悪さをふり撒いていても、幸い車内は
人影もまばらで周囲に害は無い。
 どこか間延びした、セントラルへまもなく到着のアナウンスが掛かれ
ば、まだ間があるというのに荷物を掴んで席を立ち、ハボックは乗降口
へと向かった。

――本当は、俺がいなくたって大丈夫なんだろうけど。
多少…どころでなく図太い所があるのは事実だし、俺が今更駆けつけ
たって、何ができる訳でもない。それでも大佐が平気なフリをしてい
ないか、あの男が大佐の傷口を抉る言葉を投げつけたんじゃないかと
気が気でなくて、…何も考えられなくなる。

 扉が全開するより先にホームへ降り立ったハボックは、降車手続き
もまどろこしいとばかり、切符を改札口で投げ渡し馴染んだマスタン
グ大佐執務室へ一直線。

「…あれ? お前帰り夕方じゃなかったっけ」
少し驚いた顔で書類を整理していたブレダの言葉に、フュリーは
「…あれ?僕はもうてっきり少尉が帰ってこられてきているものだと
思っていました」と首を傾げた。
「いや…まあ色々と 大佐は奥?」
曖昧に答えたハボックは、ノックをしながらはふと疑問に捕われる。

――ブレダの質問は当然として、なんでフュリーは俺が帰ってると
思ったんだ?

「入れ」
答が出るより先に、落ち着いた…四日ぶりに聞くロイの声が聞こえ、
ハボックはドアノブを廻した。