じゃれる酔っ払い

 珍しくも大佐の方から俺の腹へと抱きついてきた事態に、どうし
ていいのやらと俺は読みかけの端が破れてしまったニュースペーパ
ーを握ったまま、大佐を見下ろす。
「えへへぇ」
 にぱぁと笑って頭を擦り付けてくる大佐の行動は、俺にとって初
めての経験で、嬉しさより先立つのは困惑だ。

何があった今なにが起きているここはどこ、俺は誰アンタ誰何して
るの――唇に出かけた言葉の奥で、大佐の部屋で抱きつかれている
俺はジャン・ハボックでこの人はマスタング大佐と、脳は冷静な答
えを出せている辺り、行為そのものより結局俺は自分がどう返して
いいのかが解らなくて固まってしまったのだろう。

「ハボ〜 あったかいぞー」
ソファに体を横たえて、俺の膝上に上半身を乗せてくる大佐はこち
らの思惑なんて、気がついている様子もない。
「ん…?大佐…酒臭い?」
「お酒くさくありませんーー飲んでませんーーー」
 いや、日頃俺の嗅覚を犬並みだってからかってくるのはアンタで
しょうが。そんな俺の鼻腔には、間違えなくアルコール臭が届いて
ます。そう言い掛けた俺の目に、ダイニングテーブルの空になった
大ぶりのグラスが写った。

「あーっ!大佐!!あのコップ飲みましたね?」
 正確にはグラスの中身をだろうのツッコミはさておき、俺が慌て
たのはそれが間違えなく酒であるのを知っていたからだ。しかも、
濃度が高いブランデーで昨夜飲みきれずに置いたままにしておいた
物。あれを一気に飲んだのならば、酔っ払うどころか急性アルコー
ル中毒の心配だってあるぐらいで…だが大佐は上機嫌で、気を失う
様子はなくひとまず大丈夫そうだと、俺は胸をなで下ろす。

「コップ飲んでないぞー 飲んだのは紅茶だ」
 案の定そう返してきて、とりゃあっと更に腰に深く巻きついて
きた大佐は…確実に酔っ払いの行動だ。
「色は茶色ですが味全然違うでしょうよ…」
 寝起きで喉が渇いた大佐が、テーブルの上に会ったグラスを見て
紅茶の飲み残しだと判断し、一気に飲んだ…の情景が目に浮かぶ。

「あーあ いい酒だから捨てるの勿体無いって俺の貧乏根性もアレ
ですけど口つけても判らないって大佐も相当アレですよ…」
 代名詞ばかりの俺の台詞なんて、当然聞き流されるとばかり思っ
ていたのに、耳聡く大佐は顔を上げ
「アレでアレとはなんだね ハッキリ言いたまえー命令ー」
と俺の両頬を摘み引っ張る。
「…痛いれす 大佐」
俺がぼそりとそう返すと、大佐は瞬時に両指を離し今度は俺の頬を
撫でさする。
「い、痛い?痛かったか ハボック」
「ええ、まあ」
 痛くないといってまた抓られてもイヤなので、そう返せば途端に
大佐の両目が潤み、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれた。
「す…すまな…ごめんなさっ……ハボ…痛くしてご…ごめっ…」
言いながら必死で俺の頬を撫でてくる大佐を目にしてしまっては、
もう俺にできるのは全面降参の他はない。

 
「…もう痛くないです 大佐のおかげで治りました」
「…本当か?」
「はい」
大丈夫だからと、大佐のホッペを今度は俺が撫でさすったら気持ち
良さそうに目を細められ、首を摺り寄せられた。
 ぷくぷくで滑らかな頬の感触が、気持ちよくて思わずそう口に
出したら「そうか」とニコリと微笑まれた。
大佐が丸い頬を気にしてるのは、周知の事実なのでシラフな時に告
げたら蹴り飛ばされたかも…いやそもそもホッペを撫でさせてなん
てくれないかなんて考えていたら、いつのまにか酔っ払いは眠り人
にクラスチェンジをしていた。

 普段の静かな眠りと違い、酒が入っているからかくぅくぅと小さ
な寝息。起こさぬようそっと首を持ち上げ、クッションをその下に
押し込んだ俺は、次に目を覚ましたときに食欲がないと呻るであろ
う大佐の為に、野菜ジュースでも作っておくかとキッチンへと向か
って立ち上がった。