一枚上手

 私一人気持ちの悪い思いをするのは、ワリに合わないではないか。
――そもそもの発端は、ハボックの行動のせいなのだから責められる
謂れだって…ない筈だと自分を正当化する理論を探すロイが企むのは
勿論、自分が受けた心地悪さを返してやろうの一念だ。

 一瞬ではあるが、ヒューズとハボックの言葉に負の方向ではないときめき
を感じたがそれはそれ、これはこれ。あの場にいた誰よりも偉い地位にいる
筈の自分が、からかわれるだけの立場でいるのががまんできないというの
が当人の理屈だが…本人の無意識に、素の顔を見せられる甘えというの
も含まれているのには、当然のように気付かないのがロイ・マスタングという
人物である。

 ハボックとヒューズ…二人を揃って敵に回せば、頭脳担当ヒューズに
体力担当ハボックがコンビネーションを組む形となり、ロイにとって認めるの
は口惜しいことであるが少々…いや、かーなーりー事態がやっかいになる
のは確実だ。

「…とりあえず、先に行うならハボックだな」
嫌がらせをするのであれば、ハボックは自分と同じ思考を辿るはずであり、
おそらく『自分がロイに仕返しを受けた→ヒューズ中佐だって同じ気分を
味わってもらわなければ不公平だ→俺からは何もできないけれど…大佐
がやることをわざわざ告げてやる必要もないよな→だから黙ってる』…の
三段論法となるはずで、イタズラを洩らされる確立は減る。

 一方これがヒューズであれば『根本を理解しようとしなかったお前さんに
俺が親切に解説してやったのに…(こちらの意図を理解していながらこれ
でもかと被害者面)→前もってハボックに教えた上で、準備と迎え撃ちを
根回し→それぐらい私が読んでいるだろうとの更に裏をかいて、からかう
としてくる』になるだろうと結果が予測できるのは、本人を信頼はしていても
その行動を信用しきれないロイの、長年の付き合いの産物である。
「やはり ハボックからか」
 顎に長い指を当て、にんまり北叟笑むロイの姿は幸いにして、誰にも見ら
れることはなかった。

「ハボック少尉が来たら 話があるので私の執務室に来るよう伝えて
おいてくれ」
 出勤するなり早々に部屋に篭もった上司が、言い捨てておいた伝言
はきちんと聞き止められていたらしく、遅番のハボックが扉越しにやって
きた様子が窺えるとほぼ同時、扉をノックされた。
入室の許可を出すより先に、ハボックが踏み込んでくるのはいつもの
事なので、ロイは椅子に座ったまま手招きで呼び寄せた。

「何スか?」
「おはよう ハニー」
 自分の台詞に固まったハボックを見たロイは、してやったりの笑みを浮か
べる。
「どうしたのだね 愛しい人? 私ばかりがお前たちから一方的に甘い言葉
を貰うのは不公平だからな せめてもの……」
と続けていたロイは、目の前のハボックが小刻みに震えているのに気づき、
言葉を止めた。
 ――フフフ…どうだ、私の味わった気色悪さが少しは伝わったか。確かに
私も鈍いところはあるかもしれんが、故意ではない。お前の言ってきた言葉
を理解できなかったのは、感性の違いというもので仕方がないではないか。
なのにそちらはわざと揶揄を行ってきたのだから、これで五分五分だ。

 あまりやりすぎて、また何かを言われても困るのでこれで勘弁してやろう
とロイが口を開くより先、力強い腕が背中側に伸び逞しい胸にロイは抱きし
められていた。
「ハ…ハボック?」
 ぎゅっと腰に廻った掌が、温かい。
「うわっ …大佐からこんな言葉を聞かせてもらえるなんて…すっげ
嬉しい!俺がこの前頑張ったからご褒美ですか?」
「…頑張ったとは何をだね」
「勿論 大佐への口説き文句っスよ!」

――あれは、嫌がらせではなかったのか。

千切れんばかりに尻尾を振る犬のように、嬉しそうなハボックに幾らロイとて
『いやスマン 嫌がらせだと思ったから嫌がらせで返した』と告げられる訳が
ない。
「えーっと……この場合 私がハニーと言ったらお前は『ダーリン』の
間違えだろう 私がハニーとか呼ぶな気色悪い…とは思わんのかね」
「えっ 大佐が俺をダーリンって呼んでくれるんスか!?」
「…いや そうじゃなく…」
「大佐が呼んでくれるならどっちでも嬉しいけど…ダーリンって呼んでくれる
なんて夢みてぇ…嬉しい… 大佐…呼んで?」
 ますます顔を輝かせたハボックに、臆したロイは距離を置こうと計るが、
がっしり巻きつかれた腕がそれを許してくれそうもない。
 結局、タイミングを見計らってノックをくれたらしいホークアイが来るまで、
ロイはハボックの腕の中で「ダーリン」と繰り返さねばならない破目に陥って
しまった。

「フ…ハボックの包容力の深さを私は甘く見ていたようだ」
 ようやくハボックを引き剥がしたロイは、少々肩で息をしながらホーク
アイに指摘された乱れた髪を正した。

――しかしヒューズであれば、違うはずだ。幸い今日、書類を持参するの
連絡があったばかり。私の味わった鳥肌をお前にも経験して貰う。
 
 握り拳で企むロイであるが、ハボックにしでかした事と同じ事をヒューズ
にも行うと聞けば、あの流れで極上にご機嫌になった反動でハボックがの
機嫌が急降下していくのは容易に予測がつく。
 狂犬と化した部下は、体力的に相手をしたいものではないロイは、ハニー
以外の呼びかけを、ヒューズ来訪までに考えなければならぬ課題に、苦し
められるのだが、それでもリベンジはやめようとしなかった。

「あーブレダ 今日は内密な打ち合わせが有るから、コーヒーはいらん
それから不容易にこちらに来ないよう皆にも告げておいてくれ」

 これで足止めはできたと、個人執務室に篭もるロイは準備万端ヒューズが
訪れてきたら、極上の笑顔で迎えてやろうと着席した。
 暫く時を置いて、こちらはきちんとそれなりの礼儀というのを弁えている
ヒューズがノックの後ロイの「どうぞ」の確認を取って、片手を額横に掲げ
「よう」と身軽に歩み寄ってきた。

「会いたかったよ ヒューズ」
今回のロイの作戦は、普段の自分なら絶対言わない台詞を並べヒューズに
鳥肌を味わわせてやろうというもの。
極上の微笑で出迎えるロイを見たヒューズは、一瞬足を停め僅かに目を
眇めた後、ニヤリと不穏な笑みを刻んだ。

「おお 俺もだぜお前さんと一分一秒離れている時が狂おしいぐらいだ」

――流石だな、ヒューズ
目があい、互いに微笑み会う二人はともに嘘臭い穏やかさをそのまま活か
そうと、会話を続ける。
「お前はいつだって私にとって望む言葉を返してくれるなヒューズ」
「長年の付き合いだ お前さんの考えぐらい辿れるさ 今だってこの前俺に
ハニーと呼ばれたことが嬉しくて甘えてきているんだろ まったくどこまで
男心をくすぐれば気が済むんだ…なあロイ?」
「うっ……」
 ロイの魂胆を見越した上で、わざとその外した行動を曲げて解釈する親友
ヒューズは、やはりロイより上手だった。

―いつもここで私が言葉に詰るから、コイツは面白がるんだ。今日は逆襲だ
負けずに頑張れ私!
 自分を鼓舞するロイは、それなりに場数を踏んでいるだけあって見た目は
にこやかなまま。
「その通りだダーリン こうして離れて喋っているのが寂しい程だぞ」
――よしっ無難に言い返せたぞ!えらいぞ私っ

「ハハッ可愛いことを言うじゃないかハニー …だったら普段はマイワイフと
エンジェル専用のこの腕を貸してやってもいいぜ 抱き締めてほしいか?」
「勿論だ!」
 今日は引かぬ!負けぬ!!と決意したロイが咄嗟の勢いで、勇み立つと
ヒューズはウェルカムと両手を広げ、どうぞとゆったり微笑む。
ここで怯めば負けだと、ロイがその腕の中に飛び込んだタイミングを見計ら
ったかのように扉がノックされ、入り口が開いた。

「中佐 リクエストの紅茶………」
 続いたのは、トレイが傾きカップが床で割れる大きな音と、液体が飛び
散る僅かな音。

「………何……してんスか」
「ああ マイスイートが寂しいから俺に抱き締めてくれと せがんできてな」
ハボックと同じく硬直しているロイを、これみよがしに抱き締めるヒューズ。

「ちちっ違うぞ! あ、いや言ったか言わないかでいうとまあその…それに
近いことは言わ…ないでもない…が…これは違って!」
「そうそう 別にハボック少尉に見せつけてやろうとかの意図じゃないよな」
「ヒューズ! ややこしくなるから口を………ハボック……?」
「そうっスか……そういう事…なんですね…」
「違うっ!話を……そ、それに今日はこちらに近寄るなとブレダに伝えて
おいた筈だが!?」

 とりあえずの責任転嫁に、ハボックの背後へと声を立てればのっそりと
姿を現したマスタング組部下・頭脳派ナンバーワンが後頭部をかきつつ、
頭を下げた。
「あー俺がハボックにそう伝えていたら ちょうど来たヒューズ中佐が
『あ、その件は俺とロイの直通電話で用件済んでるから この前みやげに
もってきた紅茶全員にふるまってやるから淹れてきてくれよ  気にせず
部屋に入ってきてくれて構わねえから』って」

 常に淹れてあるコーヒーでなく、湯を沸かす手間を追加しての時間帯を
計算して紅茶をリクエストし、ヒューズはハボックが踏み込んでくるように
会話を進めていたのだろう。
 今の状況を見れば、ヒューズの言葉はロイの企みを見越しての準備で
あったと頭の回転の良いブレダには即理解できたが、それを口に出せば
ヒューズ・ハボック・ロイ…誰の平穏という琴線を断ち切るか知れぬと、続き
を飲み込んだ。


 そして、まさに。
ベストタイミング――ロイにとってはこの上ないバッドタイミングで、ハボック
がやってきたという訳だ。
「まだまだ甘いぜ マイハニー」
背後から抱き締めたヒューズが、ロイの耳朶近くで囁いた笑いを含んだ声
は無論当人にしか聞こえていない。
 今更ながらヒューズを陥れようとした自分は、ハボックの時といい現在と
いい…計算の甘さを指摘されれば、返す言葉がないとロイせめてもの抵抗
で二人に気付かれぬよう、そっと唇を噛み締めた。
「…覚えていろ ヒューズ」
「スイート 俺の記憶力を舐めてもらっちゃ困るぜ?お前さんが忘れたって
俺は忘れてやらんさ」
「……中佐 いい加減に大佐から離れてください」

 なお、機嫌を損ねたハボックを宥めるのにロイは帰宅後抱き締められた
まま半日『ダーリン』と繰り返さなければならなくなったのだが、それはヒュ
ーズの言葉で言うのならば『自業自得』だそうである。
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りささんに頂いたハボックのふてくされ度とヒューズの余裕にときめいてロイの復讐編
…でもやはり敵いませんでした(笑)