安心と思い

冗談交じりの言葉なのだろうけど、キョーコには聞き逃せなかった。
「ストーカーされてみたい〜っ」

 …怖かったんだから。
自分の貞操がどうとか、相手が美形だからどうとかじゃなく、
コチラの意思を踏みにじる、あの言動が。
 思い起こしてみたら、確かレイノという名前の馬鹿男は
暴力的ではなかった。不気味な意思と、黒い意図を込めた
言葉の一つ一つで、絡め取るように抵抗をふさいでいっただけで。
 …でも、それ故に…心ごと踏みにじられそうで、その負の念が
キョーコにとって恐ろしかった。
 すくんでしまった心は、身体ごと凍りつかせ。
どこか自分の一部にある闇が、じわじわと侵食していく恐怖。

 あの時の震えがよみがえり、思わず美緒化してしまう。
 「……本当……ですか…?
嬉しい…身代わりが…ひとーり…ふたーり…」

 エキストラ役の女性たちに、地を這う声で
絡んでしまったことを、蓮に見られずに済み、キョーコは吐息をついた。
 ガス抜きではないけれど、怨キョーコを放出したおかげか、少し落ち着く。

 余裕ができたせいで、ようやく周囲を見渡す気分になって蓮の姿が
ないことに気づく。
「…あの社さん…敦賀さんは……」
「うん 具合悪くて 車でちょっと寝てるんだ 
 あ キョーコちゃん良かったら様子見てきてくれる?」
 …私が…無理やり朝食食べさせたせいで…?
「い、行きます!不肖最上キョーコ 敦賀さんのご様子
しっかり見届けてまいりますーっ!」
 責任からか、怒涛の勢いで車に向かうキョーコを見送る社。
 …もっと甘い看病ムードのつもりで、お願いしたのだが
…まぁいいか。 基本、楽天的な彼は微笑みながら
二人の進展を願っていた。

 車内へこっそり忍び込むと、まだ蓮は具合が悪そうに、寝そべっていた。
何か自分に出来ることあるかの問いかけに、枕の一言。

 膝枕をしてくれの、蓮の唐突な要求に思わず身を固めてしまったが、
…ひょっとしたらこれは普通にありえることなのかもしれない。
 尚限定・尚しか異性は見えていません・尚が全てだった自分は
世間をあまり知らないのだから、そんな可能性もあるかとキョーコは
そっと蓮の頭を自分の太腿に乗せた。
 重みのある頭部は、無機物と違い薄いスカート越しに
その体温を伝えてくる。
 昨日、背中越しにレイノの体温を感じたときは身が凍る想いだったのに。
今自分の足の上にある、そのしっかりとした重みは、どこかでまだ
自分を戒めていた闇を、ゆっくりと溶かしていくかのように、暖かい。

 伸ばした指に触れる、サラサラの蓮の黒髪。
絡まず流れるその感触が気持ちよくて、キョーコは何度も指で梳いた。
 自分に暖かさをくれている、この人の気分が少しでも良くなりますように。
子供相手の痛い場所を癒すような動きに、蓮へもその熱がゆっくりと伝わる。

(…気持ち良い)

 どちらともなく、生まれたそんな思いは、陽射しにゆっくりと紛れ
二人の間の空気を、一層優しくしていた。

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16巻act96をキョーコちゃん視点で。